眼鏡通販CRYSTAL MORE

CONTACT

NEWS・BLOGお知らせ・ブログ

軍艦島

crystalmore optical

長崎港から約19㌔の沖合いに浮かぶ

端島(通称 軍艦島)が無人島になって35年。

75年年間の間、海上炭鉱都市として栄え

石炭の総排出量は、1,570万トン!

今回、閉山されてから35年間 廃墟として雨風にされされた軍艦島に

上陸してきました。

crystalmore optical

軍艦島の愛称は、島の全景が悲劇の戦艦 「土佐」ににていたことから。

周囲1,2キロ面積63,000㎡の小さな人工の島に

当時最先端の技術が結集されていたそうです。

crystalmore optical   今回、軍艦島で説明してくれたガイドの方。

  当時の生活ぶりを詳しく説明してくれました。

  島の最盛期には、人口5,300人。

  当時の東京の9倍の密集率だったそうです。

  

  

crystalmore optical

正面の建物は、学校。  1階から3階が小学校、4階~5階が中学校。

一番上は、幼稚園と園庭。  今でも滑り台が残っていて滑れるらしいです。

crystalmore optical

鉄骨だけ残っているのが、体育館。

大きなグランドは、子供たちや娯楽の少ない島民の運動会などに使われ活気が!

crystalmore optical

ここのアパートは、上層部(課長以上)の役員たちが住んでいたアパート。

一般の鉱員は、6畳一間に家族と生活に対して、こちらは

風呂付の2LDKに住んでいました。

crystalmore optical

アパートは、水道代、電気代などの光熱費がかからず、

給料のほとんどは、残ったそうです。

そのため、1964年の東京オリンピック時には、3種の神話といわれた

TV、冷蔵庫、洗濯機の家庭保有率が島では、100%という裕福な暮らしぶり。

crystalmore optical

映画館、レストラン、スナックなどの娯楽施設や神社、お寺など

島にはないものはなかったそうです。

警察官も2名在中されていたそうです。その方のお一人が先日、軍艦島に

様子を見にいらしたらしいです。

crystalmore optical

プール跡。海水浴ができないので貴重な遊び場。

唯一、島になかったのが、火葬場とお墓。 

火葬場とお墓だけは、隣の島に埋葬したそうです。

crystalmore optical

石炭を運んだベルトコンベアーの支柱だけが残ってます。

crystalmore optical

crystalmore optical  ここから、地下600㍍を掘って、坑道へ潜ったそう。

 いつも危険と隣り合わせなので

 挨拶は、どうぞご安全に! の言葉。

 

 

 

crystalmore optical

炭鉱の中枢だった総合事務所。

レンガ壁の横の空間は、共同浴場跡。

お風呂は、3つあり、まず、まず、真っ黒なので服ごと、入浴し

服を洗って、最後の風呂でようやく服を脱いで入浴。


crystalmore optical

怪我が多い炭鉱マンには、病院は、必要不可欠。

伝染病を抑えるため、隔離病棟もありました。



crystalmore optical

当時のお金で三菱が10万で島を買収した軍艦島。

石炭は、国の資源として非常に政府からも期待されていたため

日本初の鉄筋造りの高層アパートや日本庭園などが導入。

わずか70年の間に繁栄と衰退=廃墟を経験した軍艦島。

温度30℃、湿度90%という過酷な状況でたくましく働いた鉱員。

それをこの島で明るく支えた家族。

軍艦島には、生活という活気があり、働き生きる活力にあふれていました。

現代の物にあふれた生活よりもこの狭い島での生活の方が、

精神的にも、裕福だったのではないでしょうか?


crystalmore optical

軍艦島は、貴重な近代化産業遺産としての価値が認められ

世界遺産の暫定リスト入りしました。

定休日  毎週木曜日・第2・第3水曜日日

ブログ一覧へ >

ブランド別

月別

CONTACTお問い合わせ

眼鏡に関するご相談やお問い合わせがございましたら、
下記メールフォームよりお気軽にご連絡ください。

MAIL FORM

トップに戻る